暦と太陽と月

1年、1ヶ月、1日という時の区切りは暦によって決まり、暦は私たちの生活に欠かせないシステムです。 この暦を作るときに目安とされたのが、太陽の動きや月の満ち欠けです。 このページでは、暦の種類と太陽の動きや月の満ち欠けとの関係について記載しています。


太陽暦

現在の私たちは、1年が365日からなり、4年に一度閏年があるカレンダーを使用しています。 この1年の長さが365日程度であるということは、古くから知られていました。 古代エジプト時代は、特定の星(シリウス)が昇ってくる時刻を記録して一年の長さを調べていました。 日時計を使っていた文明もあります。

その後の観測の結果、一年の長さが365.25日程度(1太陽年)であることがわかります。 その頃は、1年が365日から構成された初期の暦が使われていましたので、 このままでは、毎年0.25日ずつ季節のずれが生じてしまいます。 この問題を解決したのが、古代ローマの将軍ユリウス・カエサルでした。

カエサルは紀元前46年にユリウス暦を制定します。 ユリウス暦の1年は365日ですが、4年に1度閏年が設けられる決まりになっていました。 つまり、閏年の1年は366日となるわけです。 この閏年を挿入することで、ズレが一方的に広がることを防ぎました。

ユリウス暦の制定でズレが解消されたかと思われましたが、より詳しく調べてみると、 1太陽年の長さは365.2422日であることがわかりました。 365.25-365.2422=0.0078日とわずかな違いに見えますが、1000年経つと約8日のズレが生じてしまいます。 この問題点を解消するため、新しく導入されたのがグレゴリオ暦です。

グレゴリオ暦は、ローマ法王グレゴリオ13世が1582年に制定した暦です。 グレゴリオ暦では、以下のようなルールが定められています。
1.西暦が4で割り切れる年を閏年とする
2.1のうち、100で割り切れる年は閏年としない
3.2のうち、400で割り切れる年は閏年とする

グレゴリオ暦の採用により、暦の一年はさらに太陽年に近い値になりましたが、 まだ完全には一致しません。 しかしこれ行こうに提案された改正案は採用に至らず、現在もグレゴリオ暦が使われています。


太陰暦と月

現在の暦は、太陽の動きを基にしたグレゴリオ暦ですが、歴史上、最初に誕生した暦は、 月の満ち欠けを基準とする太陰暦でした。 これは、毎日同じ形に見える太陽と違って、満ち欠けする月の方が目安にしやすかったためでしょう。 新月から次の新月までの周期(1朔望月)は約29.5日ですが、 これが1ヶ月という時間の単位のもとになっています。

太陰暦では、月の満ち欠けの進行が基準になりますので、月の初めは必ず新月(朔)となり、 月半ばの15日は、朔望周期の約半分に当たるため、この日がほぼ満月となっていました。 今でも満月を十五夜の月と言うことがありますが、これはこの頃の名残です。 特に太陰暦で8月15日に出る月は「中秋の名月」と呼ばれています。 今でもこの頃にお月見をする習慣が残っています。 つまり、太陰暦が用いられた世界では、月の満ち欠けを見れば、その日が何日であるかがわかったのです。

ところで、1ヶ月を29.5日(1朔望月)とすると、12ヶ月繰り返しても354日となり、 365日には11日ほど足りません。 このままでは、季節とのずれが大きくなってしまうので、 閏月の年を設けることにより、季節と暦を調和させる方法が取られました。 これが太陽太陰暦と呼ばれる暦で、日本でもかつてこの暦が使われていました。


季節が変化する理由

1年間で春夏秋冬が一巡しますが、そもそもなぜ季節が変わるのでしょうか。 季節の変化は、昼の長さや太陽の南中高度によるものです。 つまり、地球から見た場合の太陽の動きの変化が季節の変化と言うわけです。

地球は自転すると共に、太陽の周りを公転しています。 この自転軸と公転面は垂直ではなく、約23.4度傾いています。 この傾きを保ったまま地球が太陽の周りを公転しているので、 地球の位置によって北極側が太陽に向くときと、南極側が太陽に向く時期が生まれます。 これが地球から見た場合に太陽の動きの変化として、表れています。

具体的には、北極側が太陽に向いている場合は、北半球では昼間が長く、夜が短くなります。 それと同時に太陽の南中高度が上がり、北半球では夏を迎えます。 逆に南半球に太陽がよく当たる位置に地球が来ると、北半球は冬になります。 夏と冬の間には、春と秋があり、 このときは昼夜の長さが同じになります。

このように地球が太陽の周りを一回りすると、季節が一巡します。 これが1年で、一年の長さとはつまるところは地球の公転周期というわけです。


二十四節気

現在、日本で使われているグレゴリオ暦は、太陽の動きを基にしていますので、 夏至や冬至の日付は年が変わってもほとんど変化がありません。 しかし、旧暦を使っていた時代は、月の満ち欠けを基にしていたため、 夏至や当時の日は毎年日付が異なっていました。 そこで、それぞれの季節の目安として、二十四節気が採用されました。

二十四節気は、1太陽年を24に分割したものです。 1太陽年の分割の方法には、1年を単純に24等分する方法と、地球の公転軌道の位置を角度で24等分する方法があります。 ケプラーの法則により地球の公転速度は一定でないため、角度で分割した方がより正確に季節に合うことになります。 そのため、日本でも角度で分割した節気が使われるようになりました。

二十四節気の習慣は今でも残っています。 天気予報などで「暦の上では春になりました」とうアナウンスをお聞きになったこともあるでしょう。 これは、二十四節気の一つである立春の日が来たというお知らせです。


雑節

暦には二十四節気の他にも、節分や彼岸といった季節を表す目印(雑節)が掲載されています。 一般的に雑節は9つあります。以下に代表的な雑節をあげてみました。

まず最初によく知られた「節分」です。 節分は文字通り、季節を分ける目印で、かつては立春、立夏、立秋、立冬の前日を指していましたが、 現在は立春の前日を表す目印として使われています。 節分の豆まきで有名です。

「彼岸」は、春分・秋分の前後7日間です。 具体的には、春分・秋分を彼岸の中日として、その3日前を彼岸の入り、 3日後を彼岸の明けとしています。 日本では、この時期にお墓参りなどがよく行われます。

「八十八夜」は、立春から数えて88日目の日です。 「夏も近づく八十八夜」という歌でも良く知られた雑節で、 農作物に遅霜がつきやすい時期として知られています。

「入梅」は、その名のとおり梅雨の時期を表す雑節です。 太陽が黄道座標の黄経80度の位置にあるときが入梅です。 現在の梅雨入りは、気象庁が気象予測に基づいて発表していますので、 入梅と梅雨入り発表は必ずしも一致しませんが、昔は梅雨入りの目安として使われていました。

「土用」は、「万物は木、火、土、金、水からなる」という五行説から来た雑節で、 春に木、夏に火、秋に金、冬に水を当てはめ、残った土が季節の移り変わりに当てはめられて、 これを土用と呼ぶようになりました。 太陽の位置が297度、27度、117度、207度のときに土用の入りとなり、 その日からそれぞれ立春、立夏、立秋、立冬までの期間が土用とされました。 土用の期間はおよそ18日で、土用の丑の日は、うなぎを食べる習慣があります。

参考文献:暦の科学